小学生の頃、先生に対して「その対応って、大人としてどうなんでしょうね?!」と疑問に思うことが多々あった。時に口に出して言って、殴られた。
体罰を奮う先生は勿論のこと、怒って授業を放棄し、なぜか中庭のゴミ掃除を始めたり、1人の生徒の失敗を全生徒の責任として強制転嫁、放課後3時間、全生徒を教室に幽閉して困らせたり。
「先生!俺たちはそこから何を学べば良いのですか?」という話です。あれはもしかしたら、「自分の思い通りに行かなかったら、力関係で弱いものを困らせることでストレス発散しましょう」という教えだったのでしょうか?
それだけじゃない。例えば、
タケル:「でも、矢間栄くんがやれ!って言ったんだもん」
ジョンソン先生:「こらっ!じゃぁ矢間栄くんが死ねって言ったら、お前は死ぬのか!!!」
そんな不毛なやり取りをする教師と生徒。タケルもタケルだけれども、先生の反応もあんまりだ。もし死ねと言われても、それは死なないに決まってる。タケルもそんな馬鹿じゃない。
でも、こんな風に責任問題をチクチクと追及されたら、やっぱ逃げたくなるというか、人のせいにしたくなるでしょ?!矢間栄くんに強制されたって言いたくもなるでしょ?
実際、矢間栄のアホが主犯で俺はそのサポート役っていうか、鉄砲玉というか、とにかく終わってしまった事は戻せない。僕も悪いですが、こんな攻め方をする先生も悪い!もう耐えられない!!!という気持から出た言葉が「でも、矢間栄くんがやれ!って言ったんだもん」なわけですよ。
本来の僕はとても思慮深くて言い訳もしない、勇敢な人間です。が、状況によってはこんな風に変貌してしまう、という良い例です。ああ、先生ウザい。
といった経験は誰しもあると思うけど、実際問題として、明確な理由は分からないけど「人に言われたから」とか「人がやっていたから」という曖昧な理由で行ってしまうことは沢山ある。
例えばクリスマス。別に理由や思い入れをもたずとも、皆がやっているからという理由だけでケーキを食し、プレゼントを交換してしまう俺。生き方として果たしてそれは正しいのだろうか、と悩む季節ですがいかがお過ごしでしょうか?
それから、例えばTシャツの下に着るランニングシャツ。特別な必要性は感じないのだけれども、その様に言われて育ったから着ないとスースーしてしまうんだよね。
あとソックスも、思いっきり上まで上げないと気持悪いって言うか、別段不自由は感じないけれど、その様に言われて育ったから俺はその様にする、という風に、人々は思い思いの生活様式や習慣を死守しながら、同時にその理由を知らぬまま一所懸命に生活していたのでありました。
明確な理由など知らないのに思わず従ってしまう事柄は、ビジネスの中にもたくさんある。例えばキャンペーン。なぜキャンペーンを行うのか。みんなが行っているから、という理由で、何も考えずに以下のようなキャンペーンを行っていないだろうか?
- クリスマスだからクリスマスキャンペーン
- お正月だからお年玉キャンペーン
- 春だから入学キャンペーン
- 夏だからサマーキャンペーン
それこそ「それは勿論、売ることです!」という答えがあると思う。でもビジネスを運営することの目的そのものが「売ること」なのだから、キャンペーンの目的がもう一度「売ること」というのはおかしくない?
では「もっと売ることです!」という答えはどうだろう。これはだいぶマシだと思う。「もっと売る」という言葉の中には、今の売上では何かしら不具合があるから、もしくは、今の売上以上の目標があるからもっと売りたいという動機のようなものが見え隠れしている。だから、その不具合を解消する為には何が必要で、その為にはどんなキャンペーンを組めばよいのかが見えてくる。
重要なのはこの、「何を解消するために、どんなキャンペーンを組むのか」ということだと思う。例えば、ショップのメルマガの購読者が極端に少ないとしたら、購読者増を狙ったキャンペーンをするべきだし、お客様の声を増やしたいのであれば、その為のキャンペーンを行うべき。
何でもかんでも、「20%オフ」、「30%オフ」、「2枚購入で1枚無料」、「1万円以上で送料無料」、etc. では、安売り大好きなお客様ばかりが集まってきて、逆に自分で自分の首を絞めることになるかもしれない。
だから次にキャンペーンを考える時には、できあがったキャンペーン案から一度「値引」きや「プレゼント」についての文章を削除してみて欲しい。
そこに残ったものが、なたがお客様に伝えたいメッセージであり、目的なんだ。
あなたのキャンペーンにはメッセージはありますか?
清水勇二












